元兵士ウクライナで生存
岩手出身、63年ぶり帰郷へ
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第二次大戦後に樺太(サハリン)に残ったまま行方不明になり、戦時死亡宣告を受けた岩手県洋野町出身の元日本陸軍兵士が、ウクライナで生活していることが17日までに、厚生労働省などの調査で確認された。19日に現地の家族とともに一時帰国し、20日に盛岡市で63年ぶりに家族との再会を果たす。
県地域福祉課によると、生存が分かったのは上野石之助さん(83)。1943年に出身地の洋野町(旧大野村)を離れて樺太の陸軍歩兵隊に入隊。終戦後は現地で結婚し製材業などに従事していたが、58年ごろ消息不明となった。 |
出征前の上野石之助さん |
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未帰還が続いた人に適用される「戦時死亡宣告」が2000年4月に確定したが、上野さんは65年ごろに妻の実家でウクライナの首都キエフの西方にあるジトーミル市に移住したという。
県地域福祉課によると、生存が分かったのは上野石之助さん(83)。1943年に出身地の洋野町(旧大野村)を離れて樺太の陸軍歩兵隊に入隊。終戦後は現地で結婚し製材業などに従事していたが、58年ごろ消息不明となった。
未帰還が続いた人に適用される「戦時死亡宣告」が2000年4月に確定したが、上野さんは65年ごろに妻の実家でウクライナの首都キエフの西方にあるジトーミル市に移住したという。 |
声を詰まらせながら、上野石之助さんの帰国の喜びを語る弟の左舘丑太郎さん=岩手県洋野町の自宅 |
ウクライナ国籍を取得し、「イシノスキー」の名で生活。息子と娘2人がおり、現在は妻と2人暮らし。日本語はほとんど話せないが、筆記では自分の名前が書ける。
昨年10月に知人を通して県に生存情報の連絡があり、ウクライナの大使館員が面会した。12月には親族が上野さんの写真などを見て本人と確認した。大使館員には「両親のお墓参りをしたい」と話したという。
厚労省などは確定した戦時死亡宣告を取り消す作業に着手し、戸籍の回復手続きを進める。
◎半世紀超え「生きて会えるとは…」/親族や住民感激の表情
「長かった。まさか生きて会えるとは」。元日本陸軍兵士、上野石之助さん(83)の出身地、岩手県洋野町の旧大野村明戸地区では17日、弟や妹ら親族と住民が生存情報と帰国の知らせに感激の表情を見せた。
石之助さんの弟の自営業左舘丑太郎さん(81)は「故郷を離れて半世紀以上が経過し、兄の生死を気に掛けていた母も他界した。あまりにも長かった」と語った。
4人きょうだいの2番目で、物静かな人だったという。左舘さんは「なぜ今まで分からなかったのか」と戸惑いも見せつつ、「死んだと思った兄が生きていてくれた。うれしい」と言葉を詰まらせた。
妹の農業上野タケさん(70)も「生きていると聞いたときはびっくりした」と振り返る。「お互い年を取った。何を話したらいいものかと思うが、楽しみ」と63年ぶりの再会に思いをはせた。
地区は石之助さんの帰国を歓迎し、23日に公民館で祝賀会を開く予定。石之助さんの実家近くの農業菖蒲沢フミさん(71)は「60年間大変な苦労があったと思う。まずは元気で帰ってきてほしい」と話す。行政区長の圃田勉さん(75)は「お赤飯を炊いて出迎えたい」と張り切った。
2006年04月17日月曜日
www.kahoku.co.jp/news/2006/04/20060418t33034.htm
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★ 旧ソ連抑留画集 〜
元陸軍飛行兵 木内信夫
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このページは私の父、木内信夫が第2次大戦後、連合国側である旧ソビエト連邦ウクライナ共和国にて体験した「日本人捕虜」の生活の記録であります。私と同様、趣味で描いたものではありますが、歴史的に貴重だと思いインターネット上に紹介しました。一般に戦争画は殺りく場面や戦闘場面といった悲劇的な題材が多いのですが、父の作品には被害者も加害者もなく、日本人、ロシア人に関係ない人間一人ひとりの喜怒哀楽が描かれています。またそれは、兄弟である人類がつまらぬ戦争をしてはいけないという父のメッセージでもあります。戦後60年を迎えた今こそ、多くの人にこの作品を見て頂きたいと思っています。
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